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小呂島の歴史

 17世紀に福岡藩主が領地拡張のため漁民を小呂島へ移住させたのが定住の始まりと言われています。

それ以前に日宋貿易(10~13世紀)の中継点であったとも考えられています。1961年(昭和36年)に福岡市に編入され、現在は福岡市西区に属しています。

七社神社の写真
小呂島の氏神、産土神である七社神社

砲台跡、望楼等の旧日本軍の戦時遺構の写真
砲台跡、望楼等の旧日本軍の戦時遺構

小呂島(小呂)の由来

 島名の「おろ」について、その由来ははっきりとはしていませんが、島の伝承によれば、神話時代の大蛇"おろち"の転訛と言われています。

 対馬の地名にはオロ(豊玉町)、オロシカ湾 (豊玉町)、オロノ浦(豊玉町)、オロコロ(美津島町)という地名がありますが、郷土史家にその由来を尋ねると、対馬では「拝む」の意のオロ、あるいは「大蛇」のオロではないかといいます。また、「津島紀事」には、オロシカ湾のオロは小呂、シカは志賀の名を引いており、志賀の神すなわち「海神を拝む」の意ではないかなど、様々な説があります。

 さらに、古語にある「オロヨシ」(少し良い)、博多弁で言う「オロヨカ」(少し良い)などからオロには「少し、小さい」の意味も考えられます。いずれにしても、小呂島の名の由来は、玄界灘を往来し、活躍した人達が生きた古代まで遡ることは間違いないと思われます。

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